お腹が空いたら泣く。お腹が空いたらミルクを飲む。
それは赤ちゃんの、人として動物としての最低限の本能だと思っていませんか?
今は発語が悩みの娘のはーちゃん(6歳)ですが、生まれてから数年は【飲まない・食べない・大きくならない】今まで出会ったことのない不思議な赤ちゃんでした。
少し当時を振り返りって、昔のはーちゃんのお話をしていきたいと思います。
0歳:ちっちゃい赤ちゃんがやってきた
1,500gの赤ちゃん
はーちゃんは、36週1,500g強で生まれました。
お腹の中にいるときはエコーを見た主治医に「あれ?ちょっとちっちゃいかな?でも2,000gくらいにはなるかな?」なんて言われていましたが、実際出てきたら1,500g強。そのままNICUに直行です。
2000gを超えたらNICUを退院できますと言われ、一緒に入った低体重のお友だちがどんどん退院していくなかで、2ヶ月お世話になりました。
とにかく飲む量が少なくて、冷凍庫は余った搾乳でパンパン。
退院して家に帰ってきても、お腹が空いても泣きません。一晩ミルクを飲まなくてもぐっすり寝ている不思議な赤ちゃんです。
運動発達もゆっくりでした。
体が柔らかく、通常は3ヶ月くらいの首座りに8ヶ月くらいかかったと思います。
7ヶ月で強制入院
7ヶ月になっても4キロ台の赤ちゃん。成長曲線(-2SD~+2SD)どころか-3SDにも入りません。
私は体重計恐怖症になりました。
主治医がしびれを切らし、大きくならない理由を調べるために強制入院となりました。
今思うと、親がミルクを故意にあげていないのではないかというネグレクトも疑われていたのではないかと思います。
MRIやらCTやら血液検査やら数多の検査を受け、NICU出身の【神の手】と言われる看護師さんにミルクをもらい、今度は退院までに1ヶ月ほどかかりました。
この入院でわかったこと:
- どこも悪くありません
- ミルクは誰があげても飲みません(晴れてネグレクトの疑いは解消されました)
- 経管を入れ、お腹にミルクが届けば体重が増えます
経管というのは、鼻から胃まで入れる細いチューブです。鼻から出ているチューブからミルクを注入していきます。
はーちゃんは、経管のままでの退院となりました。
経管栄養になって
経管栄養の赤ちゃんが家に帰ってきました。
経管を入れるまでは多少は飲んでいたミルクでしたが、管をいれたら完全に飲まなくなってしまいました。
- 1日6回、4時間おきにミルク注入の日々。
- 1日1回以上マーライオンのように吐かれるミルク。
- チューブを固定するテープでただれるほっぺた。
- チューブ交換のたびに大学病院でレントゲン(←本来は自宅で親が交換しますが、鼻と食道の形の関係で自宅でできませんでした)。
- 長時間拘束することによる運度発達のますますの遅れ(←注入中にチューブを抜去してしまうと窒息のリスクがあるため手がチューブに届かないようにして注入していました)。
主治医は簡単に「成長曲線に体重が入るまで経管しましょう」なんて言っていましたが、ちょっともう限界状態でした。
あまりのつらさに藁をもつかむ思いで摂食障害を持つ親の会に入り、経管栄養卒業をサポートしてくれる小児科医の情報を得て、三ヶ月で経管栄養を卒業させてもらいました。
経管栄養を卒業したことで増えた体重は残念ながら一旦減りました。身体は小さいままになりました。反面、経管を卒業することで離乳食を食べてくれるようになり、我が家も荒れ果ててた生活から人間らしい生活に戻ることができました。
我が家は主治医の指示に逆らう形で卒業してしまいましたが、経管栄養否定派ではありません。自己判断で勝手に経管を辞めてしまうのは危険ですので避けてください。
実際はーちゃんも、途中脱水症状になりかけて看護師さんに怒られる事態になりました。
体重が少ないことにはやはり弊害があります。特に低血糖があったり心臓などの手術のために身体を大きくすることが最優先のお子さんは、経管栄養卒業を急ぐことはできないと思います。
経管栄養中ひとつ良かったことは、訪問看護師さんが週に3回来てくれることになったことです。
孤独で苦しい子の看護生活のなかで、娘の相談をしたり、成長を喜んだり、時には私だけ休ませてもらったり、とても楽しみな時間でした。
もしお子さんがご自宅で経管栄養をしているのに訪問看護がついていなくて毎日がしんどく苦しい方は、訪問看護が使えないか主治医に聞いてみるなど、調べて見ることをオススメします。
1歳:療育センターデビュー
経管栄養の生活を送っているとき、知り合いの保育士さんに「療育」について考えているか聞かれました。娘の成長のためには「医療」と「療育」の両方が必要と思うとのことでした。
「療育?」初めて聞いた言葉です。
療育って?
療育とは「発達支援」とも言われ、障害のある子どもを支援することです。発達を促し、日常生活や社会生活を円滑に過ごせるようにする支援です。
地域に療育をするための施設があると聞いたので、役所に相談に行きました。あまりよい対応はされませんでしたが、なんとか自宅が管轄の療育センターの電話番号をゲット。
電話で相談したところ、月に1度開かれる1歳児のグループ療育に参加できることになりました。
そして、グループ療育とは別に外来で月に1度程度PT(理学療法士さん)とOT(作業療法士さん)にも診ていただいていました。
療育センターで得たもの
あのとき、言葉も知らなかった「療育」について調べ、療育センターに直談判してつながることができて本当によかったと思います。
私が療育センターで得たもの、それは
娘の成長 と 障害児ママ友
です。どちらもかけがえのないものです。
成長発達のためにはたくさんのたくさんの小さな階段があります。
定型児ならば何の苦も無く、なんなら三段飛ばしで駆け上っていきます。しかし娘の場合、両手を取って一段一段足を置く場所まで丁寧に教えて導いてあげないと上れない、そんな子でした。
例えば、うつぶせの状態から座った状態になる、座った状態からうつぶせ状態に戻る。
その動きの身体の動かし方をPTさんに丁寧に教えてもらった日がありました。今まで一度もやったことのなかったその動き、なんと教えてもらった次の日からできるようになったのです。
教えてもらわないこと、知らないことはできない。でも、プロに正しく教わると、ゆっくりですができるようになりました。
療育センターでPTさん・OTさんに診ていただかなかったら、娘の運動発達は格段に遅かったと思います。
ママ友については書き出すと長くなるのでここでは割愛しますが、精神的でも情報面でも助けられた場面が数多くありました。
2歳:保育園デビュー
経管をしていた1歳のときは、受け入れ可能な看護師さん常駐の保育園に空きがなかったこともあり、保育園に入ることはできませんでした。
もともと待機児童の多い地域です。医療ケアの必要な子が入れる保育園は通える範囲には1つしかありません。仕事復帰を諦めるお母さんがほとんどです。
幸いなことに経管が取れた2歳の4月に、兄と同じ保育園に入園することができました。
お友だち効果
飲まない食べない子も保育園や幼稚園に入り、同年代のお友だちと一緒にご飯を食べると急に食べられるようになることがあると言われています。
若干の期待はしていたのですが、娘にとってお友だち効果は期待以上でした。
ここまでは、ほ乳瓶拒否・ストロー拒否で、液体の物を吸って飲むということができない子です。とろみをつけるまたは寒天で固めたゼリー状の液体しか口にできませんでした。
ところが、保育園に入って1ヶ月くらいで先生からこんなことを言われます。
はーちゃん、コップでお茶飲んでますよ?
コップ飲み!?!?本当ですかーーーーー!!!?!?!?
もちろん、手の傾けかたが上手では無かったりしてこぼすことはあるそうですが、とにもかくにも、コップでお茶を飲んでいるそうです。
保育園すごいです。お友だち効果万歳。先生ありがとう。
摂食障害児と呼ばれた娘も、いつしかそれなりにご飯を食べるようになりました。
ここまでの2年間は果てしなく長く真っ暗なトンネルを進んでいるようで、正直とても辛かったです。
まとめ:0~2歳の悩みは摂食と運動発達
1,500gで生まれた娘は、飲まない・食べない・大きくならない不思議な赤ちゃんでした。
疾患が何も見つからない中で経管栄養となり苦労の多かった2年間です。
とにかく身体が10gでも大きくなること、ミルクが10ccでも多く飲めること、飲んだミルクを吐かないこと、そんなことだけに心を砕いていました。
運動発達も遅く、首座りは8ヶ月、つかまり立ちは1歳半。
歩けるようになったら泣いちゃうかもなんて思っていましたが、2歳を過ぎたころに無事歩けるようになりました。感動はしましたが、案外泣きませんでした。
そして、1つ悩みが無くなるとまた1つ、大きな悩みに直面することになるのです。
次回は、療育手帳をもらったり低身長ホルモン治療が始まったりの巻です。続く!(現在執筆中!)
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